「愛玩動物救命士」は一般社団法人全日本動物専門教育協会が認定するペットの資格です。大切な動物たちを守るために、必ず役立つこの資格を通信講座で!

「被災地を忘れない」小さな支援でも継続することが大切

被災された飼い主さんと動物たちに元気と癒しを!
今年も宮城県石巻市で開催された「動物フェスティバル」に演奏出演させていただきました。

宮城県獣医師会主催 JA石巻会場にて

宮城県獣医師会石巻支部主催   会場:JAいしのまき

東日本大震災直後から被災地を訪れて支援活動をおこなっている愛玩動物救命士の呼びかけに
快く演奏ボランティアを引き受けてくれた2名とともに東京から駆けつけました。
トランペット:佐々木 大輔(トランペッター、シンガー、作・編曲家)
チェロ:茂木 新緑(元NHK交響楽団チェリスト)

会場では、ワンちゃんやネコちゃんを抱いた飼い主さんやご家族が心地よい音色に聴き入っていました。少しの時間ではありますが、リラックスした気持ちで過ごしていただけたのでないでしょうか。

 

午後は「動物と人のための音楽会」です!

会場はホテルフタバインのご協力

会場はホテルフタバインさんのご協力

ネコちゃんを抱いた飼い主さん達が後方の席で鑑賞してくださいました♪

「被災地を忘れないでほしい」
皆さんの心の声を強く感じ、これからも続けていきたいと思っています。
催:市原まさはる (愛玩動物救命士、一般社団法人 全日本動物専門教育協会会員)
演奏ボランティア、東日本大震災後、石巻を中心にペットと人とのかかわりを見守り、仮設住宅や各地の会場で演奏会を行っている。

過去の音楽会開催リポートはこちら! 2012年11月17日の昼下がり被災地石巻のシートン動物病院11月18日東松島市コミュニティーセンターホール”平成24年度動物フェスティバル”

病院待合室でミニコンサート

病院待合室でミニコンサート

チェロの音色でワンちゃんもリラックス♪

心地よい音色でワンちゃんもリラックス♪

動物フェスティバル

動物フェスティバル

 

被災地リポート[Vol.27] 一歩一歩、そこには猫が

被災地リポートには何回か紹介させていただいている宮城県石巻市在住の尾形さん。
震災直後に旧北上川の土手を尾形さんのご主人が猫と散歩中、声をかけさせていただいたのが最初の出会いだ。
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(石巻支援リポート [Vol.9] 2011年10月16日)

(石巻支援リポート [Vol.9] 2011年10月16日)

以来、被災地を訪れる度に声をかけることとなった。

一緒の散歩で歩いていた猫は亡き”おっぽパタパタ”それから2年余の月日が経ち
5匹の猫たちが尾形家を出入りし、うち二匹はこの世を去っていた。
今回ご紹介するのは、”モコリ(写真)”モコリは”ちろり”という兄弟がいる
モコリ
”もこり”も震災の辛酸をくぐり抜けてきた猫の内の一匹。
「生粋の?野良さん」
モコリはちょっとやぶにらみ?!職人肌(笑)もともと野良さんで、1年かかってやっと尾形家の部屋の中でご飯食べるようになった。
でも可愛がってる尾形さんでさえ未だに手を触れさせることのない、”モコリ”は生粋の野良猫”魂”の持ち主だ。
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「人が住まなくなった街」
尾形さんの住む石巻市住吉地区も震災後の復旧工事で旧北上川沿いの新規堤防4.5メートルかさ上げ工事が決定したため、移転や立ち退きが進む地域だ。尾形さんも此処に留まるか移転すべきかまさに悩んでいる最中という。津波による甚大な被害を被ったこの住吉地区。
最近は避難施設へ移った人々の中からポツポツ元の住まいへ戻ってくる人があるものの、一方では3年を経た現在も、更地が目立ち震災前の賑わいを取り戻すには程遠い状況が見て取れる。

「猫力」
尾形さんご主人は、牡鹿半島で復活した定置網の修繕仕事に通う日々を送っている。肺がんの手術で小さくなった肺での重労働を避けるため仕事を休んでいた尾形さんのご主人。網の繕いはどうかと声をかけてくれたのは、70歳を過ぎ震災後の漁業復活をかけて頑張る定置網持ち主の武田さん([Vol.21]2013年4月)だった。
比較的大柄で立派な体躯の尾形さんのご主人、片肺での作業は思いのほか重労働、孫娘を津波で亡くすなど筆舌に尽くせぬ経験も、寡黙な忍耐の中に押し込めている。
そんな尾形さんのご主人と奥様との暮らしの中で話題を提供してくれているのが”モコリ”なのだ。
尾形家にとって猫は力であるし宝だと尾形さんご夫妻は語ってくれた。
ご主人は猫の島と言われるほど猫が多く、動物写真家によって全国的に有名になった。

*田代島出身。
猫とは人以上?!の付き合いと考えている尾形さんご夫妻。
なくなった猫の中にはご主人の肺がんを背負って逝ってくれた猫もあるとか。
それも「猫力」だったか?!尾形家には猫とは切り離すことの出来ない歴史と日常がある。
そんな猫たちと一緒に震災後少しづつ家を修復しながら暮らしを続けている。
「この街で猫と暮らし続けること」それが尾形夫妻の願いだ。

「震災は忘れた頃に」
今年2月2度にわたって、日本列島を襲った低気圧、東京は40年ぶりの大雪に見舞われるなど交通網は大混乱に陥った。
東京近県や東北地方も風雪により甚大な被害を被った。
この低気圧で三陸沿岸一体の海岸や海底が荒れ、東北大震災後やっと育ちつつあった昆布やワカメも再び大きな被害に遭った。低気圧が来るというので育ちつつあった昆布やワカメを早摘みしたものを、尾形さんから土産にと手渡された。震災の傷言えぬ間に次々と自然災害が被災地を襲っている。
そんな中貴重な資源である海山物の進呈を受けた。こちらが慰労せねばならない状況にあっての温かいもてなし、東北一体を襲った未曾有の災害から3年、被災地の人々の逞しさと心根の暖かさに感動。”次は東京(災害)だから気をつけてなんし”被災地のお年寄りから掛けられた言葉が重い。
すでに忘れ去られようとしている東日本大震災の惨劇、人間の脳はストレスを忘れることで前へと進むことが出来るメカニズム。だとしたら「天災は忘れる頃にやってくる」その諺の通り、まさに今再び、飼い主は愛する家族としてのペットと共に生きるための備えを点検すべき時なのではないかと、考えさせられた。

*田代島(たしろじま)は、宮城県石巻市に属す島。石巻港からは約15km南東に位置し三陸海岸南端を構成する牡鹿半島の先端近く、
仙台湾(石巻湾)にある。
人形劇『ひょっこりひょうたん島』のモデルとも言われ、近年は「ネコの島」やマンガの島として知られる。

被災地リポート[Vol.26] 復活に向けて

■被災地石巻や東松島にも再び活気が

日本製紙工場煙突の煙

日本製紙工場煙突の煙

2014年1月末半年ぶりに被災地を訪問した。
筆者が訪れた日、早朝の気温はマイナス3度。身を切るような寒風が石巻一帯を吹き抜けていく。

■東松島の仮設住宅の2匹
石巻から西に車を走らせ東松島市の仮設住宅に川村さんと”ソラ”、相沢さんと”うっしー”を訪ねた。
東松島市は震災当初から被災者飼い主と動物との共同避難に対し比較的柔軟に取り組んできた市だ。
ここ赤羽地区の二次避難所にも多くの飼い主と動物たちが避難生活を送っている。
被災3年目が近づく中、この避難所も立ち退く人々が増えつつある。
今年7月ころから移転する人がさらに増えると、班長の川村さんが語ってくれた。
川村さんと愛犬ソラ♂との出会いは震災後の4月当時東松島市の第一避難所になっていた
中学校の教室を訪ねたのがきっかけとなり、以来第二避難所、そして現在の第三避難所へと
居を移すごとに訪問していた。

■それぞれの戦い

仮設住宅敷地を行く川村さんとソラ

仮設住宅敷地を行く川村さんとソラ

この日半年ぶりに会ったソラは痛々しかった。

ソラくん 重度の皮膚疾患に陥いり治療中

ソラくん 重度の皮膚疾患に陥いり治療中

今年に入って悪化した患部。近くの動物病院は震災後撤退、新たにできた動物病院へと通うものの
高額な診察費が家計を圧迫している。
かつて4千万で新居を購入、犬一匹ねこ10匹兄弟3人と夫婦。当時11匹と5人は幸せに暮らしていた。
全てを失った日2011年3月11日。父と母は職を家族は家を、そして祖父とねこ10匹を失っていた。借金が丸々残った。
避難所を転々とし三回の引越し、今年再びここを去ろうとしている。
父は仕事を見つけはしたが期間採用、今後の見通しは立っていない。
不安がいっぱいだがそんなことを口にしない。
震災の年、長子は美術系の大学進学目指し勉強する動物好きな男の子だった。
震災後全てを失った家族の前に進学を切り出すことはできなかった。
動物好きな彼。可愛がっていた猫10匹全てを津波で失った。
一時避難所では毎日猫の夢を見うなされていたという。
さらに最愛の祖父を助けられなかったことでも心に傷を負った長子。
現在もひきこもり状態が続いている。震災からまもなく3年。
彼は20歳になるという。
被災学生に差し伸べる手はないのか、行政の紋切り型の震災処理は
住宅を始めハード優先でスピード感を持って進んでいるといえる。
一方、ボランティアの多くが姿を消す中、今こそハードからソフト支援に目を向け直し
このような多くの立場に置かれている被災した学生たちに目を向け支援して欲しい。
川村くんの復活と元気。それは私たちが待ち望む「真」の復興の姿ではないだろうか。

■アイドルねこ”うっしー”
相沢さんの”愛猫うっしー”はこの仮設住宅のアイドル的存在。
この仮設住宅には一棟分を使った25㎡ほどの談話室があり毎回我々を迎えてくれるが。
その際必ず登場するのが”うっしー♀12歳(推定)
4畳半と6畳台所という平均的な仮設住宅の間取りの談話室。
被災当初の訪問時は被災後の話し合いなど緊張した空気が漂っていたものだが、今は笑い声も。うっしーの話題で盛り上がることもしばしば。筆者が訪問の日、相沢ご夫妻と川村さんそして”うっしー”が当然の如く出迎えてくれた。

中澤さんの”愛猫うっしー”

相沢さんの”愛猫うっしー”

”うっしー”はもともと川村さんが見つけ、ダンボールに座布団を引いてご飯を上げていたノラちゃんだ。
震災の年、秋も深まった頃この仮設住宅にやって来て川村さんのご好意で住み着くことになったのだ。
■なぜうっしー?かっ、て。

誰が名づけたか?の質問に。定かでないが、と今の飼い主の相沢さんの奥様が話してくれた。「たぶん白黒模様が乳牛のようなので相沢家の子供たちがそう呼ぶようになったっけな」そういえば乳牛に見えないこともないなぁ、などと仮設に楽しい話題を提供してくれる”うっしー”なのである。当の本人は静かに人と人の間をすり抜けながら時折ゴロンとなってナデナデをおねだり。「この仔が鳴く声を聞いたことがない、一度だけご飯をあげるときニャッと鳴いたような・・・」と相沢さん。まさか「モー」ではないよね。の筆者の冗談に皆爆笑。「この仔にはほんとうに癒されてるんです」と目を細める相沢さん。今後の暮らしを見通せない今ではあるが、”うっしー”とのひと時が仮設住宅に住まう人々につかの間の癒しを与えてくれていることに救われ、動物の力ってすごいんだなと、改めて感心させられた。

■そしてこれから
今年2014年7月頃からここの仮設住宅の人々も順次他の本設へ移る予定だと副班長の川村さんが話してくれた。
選択肢は3つ
①行政から土地を借りて家を自前で建てる。
②行政が建てた一戸建てを賃貸
③行政が建てた集合住宅を賃貸
この三つの選択肢で選ばねばならないという。
ほとんどが③だが、東松島市は航空自衛隊東松島基地があるように平坦な地が多く②も十分選択できるとのこと。
皆それぞれ考えは違うが、「これからも動物と一緒の暮らし」という選択肢は絶対譲れないのだ。
一方では現状③での動物同居が不透明だ。
震災から3年が経とうとする中、被災飼い主と動物たちの未来は消して明るいものとは言えないようだ。
2016年この仮設住宅からは全員が退去することになっている。
人々から震災の記憶が遠のいていく中「東京も震災に気をつけて」と三陸で復活した昆布やめかぶの和物をお土産にと差し出す被災者たちの優しさにお礼を言いつつも、複雑な思いでその場をあとにしたのであった。

(取材・愛玩動物救命士 平澤たいら)

 

 

 

 

 

被災地リポート[Vol.25] 復活の兆しその②

【湊のネコの家完成】
2013
7月、3ヶ月ぶりに石巻市湊地区にある萬代宅を訪ねた。

そこには明るい表情の萬代さんが可愛い新築の家の前で出迎えてくれた。

2013年7月完成した萬代宅 ネコ専用に部屋の中に大きなスペースを設けた

2013年7月完成した萬代宅
ネコ専用に部屋の中に大きなスペースを設けた

「萬代さんに本物の笑顔が戻った」

萬代さんとお会いして3年。被災前は私塾の先生として多くの子供たちに勉強を教えていた。勉強や進学のみならず時には相談役として子供の親たちからの信頼も厚く頼りになる塾の先生として活躍していたのだ。しかし震災で塾もろとも流され仮設住宅での避難生活を強いられる。塾は解散。塾生たちも離散し仕事が無くなっていった。

震災の年2011年11月旧萬代宅の取り壊し

震災の年2011年11月旧萬代宅の取り壊し

そんな中、津波で被災した元住宅付近でさまようネコ達に3年間に渡り救いの手を差し伸べることは続けていた。我々が訪ねて行くといつも笑顔で迎えてくれた萬代さん。ほんとうは辛いこといっぱいだったのにそんなそぶりは一切見せなかった。気丈な人だけに弱さを人には見せたくないんだな、と、お会いするたびにそう感じていたものだ。毎日6キロほど離れた仮設から車で旧住居のある湊(海岸)地区へやって来てはネコ達にご飯を、必要なら捕獲して避妊去勢を自費で行っていた。そんな姿に感動し遠く香港のボランティアからも毎月少しだがネコへの支援物資が今でも届く。久々に訪れたこの日、完成した萬代宅前で萬代さんの記念写真をパチリッ。そして新居の感想を聞くと、「これでネコたちも安心だべさ」という答えが返って来た。

2013年春 ネコの仮住居(左)と新築中の萬代宅(右)

2013年春 ネコの仮住居(左)と新築中の萬代宅(右)

 萬代さんは自らのことよりやっぱりネコが一番なのだった。ここにも復活の兆しを見る思いがした。一人の日々の努力が人のみならず動物にも支援の手を差し伸べやがてそれが小さな実を結び小さな花が咲く。ネコの恩返しも近いか!ほんとうに嬉しそうな萬代さんに再訪を約束し更地が広がる湊地区を後にした。

(取材・愛玩動物救命士 平澤たいら)

 

 

 

 

 

 

 

被災地リポート[Vol.24] 復活の兆しその① 

宮城県石巻市内を流れる旧北上川 朝の散歩を楽しむ人々の光景が戻った

宮城県石巻市内を流れる旧北上川 朝の散歩を楽しむ人々の光景が戻った

 「”ちゃちゃ”にも夏がやって来た」

宮城県石巻市市内でカドヤ肉店を復活させた店主の山内さんを訪ねた。
カンバン犬は”ちゃちゃ”(♀4歳)。

2012年11月 元気になった”ちゃちゃ”

2012年11月 元気になった”ちゃちゃ”

2012年11月当時 復活したカドヤ肉店

2012年11月当時 復活したカドヤ肉店

7月に入り宮城県石巻地域の気温もグングン上がった。

30℃を超える日も重なり、梅雨明け間近の報道が流れる中(2013年7月7日取材)石巻を再訪した。旧北上川河口、海に近い被災した地域も瓦礫撤去が進んでいた。
最近は再開した店や、立て直した住居が整地された被災エリアに
1つ2つと目立つようになっていた。巨大津波が遡り未曾有の被害を出した旧北上川周辺も田は本来の川の恵みである豊かな水を引き込み稲がすくすくと育っている。堤防の土手では朝の散歩を楽しむ市民も見られ平和な日々が戻ってきたように感ぜられる。

2013年7月 夏の準備だア。 山内さんは”ちゃちゃ”のブラッシングが日課となった。

2013年7月 夏の準備だア。

震災の記憶も少しづつ遠のく中、ここ石巻で頑張る人々や動物たちにも回復の兆しが見えるようだ。山内さんと”ちゃちゃ”もその一人と一匹。石巻市内でカドヤ肉店を再開した山内さんは、津波で被災した近くの旅館を安く買い取り息子さんと食堂兼宿泊施設を始めようと計画中だという。60歳を過ぎての新たな挑戦だ。毎日行政への申請やら何やら忙しい日々を送っている。
”ちゃちゃ”はそんな山内さんをどう見ているのか?
「私は、毎朝日和山へお散歩してくれるし、こうしてブラッシングしてもらえとっても幸せで~す!」と言ってるかな。

山内さんは”ちゃちゃ”のブラッシングが日課となった

山内さんは”ちゃちゃ”のブラッシングが日課となった

お肉屋さんの復活とともに新たな挑戦が始まった山内さん。
そんな忙しい毎日のようだが”ちゃちゃ”への愛情は今まで以上とみてとれた。

石巻川開き祭りの花火

石巻川開き祭りの花火

そんな元気な山内さんと”ちゃちゃ”のお店の入り口に石巻市最大の祭り
『石巻川開き祭り(
73181日)』のポスターが貼られていた。

今は都会で働く息子さん。今年の夏祭りには帰って来てくれるか、そう願う山内さんと”ちゃちゃ”にも震災後3度目の夏が近づいている。

(取材・愛玩動物救命士 平澤たいら)

 

 

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