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被災地リポート[Vol.26] 復活に向けて

■被災地石巻や東松島にも再び活気が

日本製紙工場煙突の煙

日本製紙工場煙突の煙

2014年1月末半年ぶりに被災地を訪問した。
筆者が訪れた日、早朝の気温はマイナス3度。身を切るような寒風が石巻一帯を吹き抜けていく。

■東松島の仮設住宅の2匹
石巻から西に車を走らせ東松島市の仮設住宅に川村さんと”ソラ”、相沢さんと”うっしー”を訪ねた。
東松島市は震災当初から被災者飼い主と動物との共同避難に対し比較的柔軟に取り組んできた市だ。
ここ赤羽地区の二次避難所にも多くの飼い主と動物たちが避難生活を送っている。
被災3年目が近づく中、この避難所も立ち退く人々が増えつつある。
今年7月ころから移転する人がさらに増えると、班長の川村さんが語ってくれた。
川村さんと愛犬ソラ♂との出会いは震災後の4月当時東松島市の第一避難所になっていた
中学校の教室を訪ねたのがきっかけとなり、以来第二避難所、そして現在の第三避難所へと
居を移すごとに訪問していた。

■それぞれの戦い

仮設住宅敷地を行く川村さんとソラ

仮設住宅敷地を行く川村さんとソラ

この日半年ぶりに会ったソラは痛々しかった。

ソラくん 重度の皮膚疾患に陥いり治療中

ソラくん 重度の皮膚疾患に陥いり治療中

今年に入って悪化した患部。近くの動物病院は震災後撤退、新たにできた動物病院へと通うものの
高額な診察費が家計を圧迫している。
かつて4千万で新居を購入、犬一匹ねこ10匹兄弟3人と夫婦。当時11匹と5人は幸せに暮らしていた。
全てを失った日2011年3月11日。父と母は職を家族は家を、そして祖父とねこ10匹を失っていた。借金が丸々残った。
避難所を転々とし三回の引越し、今年再びここを去ろうとしている。
父は仕事を見つけはしたが期間採用、今後の見通しは立っていない。
不安がいっぱいだがそんなことを口にしない。
震災の年、長子は美術系の大学進学目指し勉強する動物好きな男の子だった。
震災後全てを失った家族の前に進学を切り出すことはできなかった。
動物好きな彼。可愛がっていた猫10匹全てを津波で失った。
一時避難所では毎日猫の夢を見うなされていたという。
さらに最愛の祖父を助けられなかったことでも心に傷を負った長子。
現在もひきこもり状態が続いている。震災からまもなく3年。
彼は20歳になるという。
被災学生に差し伸べる手はないのか、行政の紋切り型の震災処理は
住宅を始めハード優先でスピード感を持って進んでいるといえる。
一方、ボランティアの多くが姿を消す中、今こそハードからソフト支援に目を向け直し
このような多くの立場に置かれている被災した学生たちに目を向け支援して欲しい。
川村くんの復活と元気。それは私たちが待ち望む「真」の復興の姿ではないだろうか。

■アイドルねこ”うっしー”
相沢さんの”愛猫うっしー”はこの仮設住宅のアイドル的存在。
この仮設住宅には一棟分を使った25㎡ほどの談話室があり毎回我々を迎えてくれるが。
その際必ず登場するのが”うっしー♀12歳(推定)
4畳半と6畳台所という平均的な仮設住宅の間取りの談話室。
被災当初の訪問時は被災後の話し合いなど緊張した空気が漂っていたものだが、今は笑い声も。うっしーの話題で盛り上がることもしばしば。筆者が訪問の日、相沢ご夫妻と川村さんそして”うっしー”が当然の如く出迎えてくれた。

中澤さんの”愛猫うっしー”

相沢さんの”愛猫うっしー”

”うっしー”はもともと川村さんが見つけ、ダンボールに座布団を引いてご飯を上げていたノラちゃんだ。
震災の年、秋も深まった頃この仮設住宅にやって来て川村さんのご好意で住み着くことになったのだ。
■なぜうっしー?かっ、て。

誰が名づけたか?の質問に。定かでないが、と今の飼い主の相沢さんの奥様が話してくれた。「たぶん白黒模様が乳牛のようなので相沢家の子供たちがそう呼ぶようになったっけな」そういえば乳牛に見えないこともないなぁ、などと仮設に楽しい話題を提供してくれる”うっしー”なのである。当の本人は静かに人と人の間をすり抜けながら時折ゴロンとなってナデナデをおねだり。「この仔が鳴く声を聞いたことがない、一度だけご飯をあげるときニャッと鳴いたような・・・」と相沢さん。まさか「モー」ではないよね。の筆者の冗談に皆爆笑。「この仔にはほんとうに癒されてるんです」と目を細める相沢さん。今後の暮らしを見通せない今ではあるが、”うっしー”とのひと時が仮設住宅に住まう人々につかの間の癒しを与えてくれていることに救われ、動物の力ってすごいんだなと、改めて感心させられた。

■そしてこれから
今年2014年7月頃からここの仮設住宅の人々も順次他の本設へ移る予定だと副班長の川村さんが話してくれた。
選択肢は3つ
①行政から土地を借りて家を自前で建てる。
②行政が建てた一戸建てを賃貸
③行政が建てた集合住宅を賃貸
この三つの選択肢で選ばねばならないという。
ほとんどが③だが、東松島市は航空自衛隊東松島基地があるように平坦な地が多く②も十分選択できるとのこと。
皆それぞれ考えは違うが、「これからも動物と一緒の暮らし」という選択肢は絶対譲れないのだ。
一方では現状③での動物同居が不透明だ。
震災から3年が経とうとする中、被災飼い主と動物たちの未来は消して明るいものとは言えないようだ。
2016年この仮設住宅からは全員が退去することになっている。
人々から震災の記憶が遠のいていく中「東京も震災に気をつけて」と三陸で復活した昆布やめかぶの和物をお土産にと差し出す被災者たちの優しさにお礼を言いつつも、複雑な思いでその場をあとにしたのであった。

(取材・愛玩動物救命士 平澤たいら)

 

 

 

 

 

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