東日本大地震の被災者の皆様へ
  謹んでお見舞い申し上げます
2011年3月11日

 


     ★支援金を募集しています
 
  集まった支援金は、被災地へ今後長期に渡り、獣医師の無料診療派遣や動物ボランティアグループへの支援金等
   として使わせていただきます。一般の方々、受講生、認定者、皆様からのご支援をお願い申し上げます。


   支援金振込先  
            三菱東京UFJ銀行 中野駅南口支店 普通口座4504045
             〔名義〕PPR事務局(ピーピーアールジムキョク)

  救命士・搬送士資格取得者、受講生の皆様はお名前の前に番号を入力していただけますと幸いです。
  個別に領収証等は発行しておりませんのでご了承ください。この口座への募金は税務上の寄付金控除対象とは
  なりません。支援活動の詳細は随時ホームページに掲載させていただく予定です。

   当協会では2011年3月16日より宮城県他のボランティア支援グループと連携し、飼い主さん達と動物達に対する
   支援を開始しております。
  今すぐに被災者を救える方法として義援金や里親の動物搬送など小さくても具体的な行動を呼びかけたいと存じます

  
  ★協会主催:人と動物のためのチェロとバイオリンによるミニコンサート開催しました!

   
*参加者の声より
   ー初めて涙が出ましたー
   2011年3月11日の震災以来、涙が出なくなっていました。
   このコンサートでチェロの音色を聞いた時、涙があふれました。
   以来、再び小さな感動にも心が反応し、震災前のように自然に涙が出るようになりました。
   愛犬ココア(3歳)も落ち着きを見せるようになり不安が少し和らいだようです。
   ほんとうにありがとうございました。石巻市在住 渡邊温子さん(43歳) 
   10月15日(土)石巻市シートン動物病院
にて

    元NHK交響楽団チェリスト茂木新緑さん他バイオリン一名による”人と動物のための
    ボランティアコンサート”が 石巻市シートン動物病院で開催されました。

    復興はまだマイナス状況にあり協会の支援の形も少しずつ現地に合わせながら継続する中、
    人にも動物にも 安らぐコンサートとして開催が決定。当日は多くの方々にご来場いただきました。


    mogi茂木新緑 東京芸術大学 大学院修了 ルミエール弦楽四重奏団メンバー 
    

*ご注意: 動物はワクチン接種済みである事や社会性(無駄吠えしない等) が身に付いていることが条件となります。
           コンサート中 主催者の判断で退場していただく場合もございますので予めお断りさせていただきます。
    みんなに元気を!! 
 
 ★2012年秋、石巻市獣医師会による動物フェスティバル(仮称)への♪参加が決まりました。
   詳しい日程や内容は後日お知らせ予定です。
 

緊急リポート !
Vol.1  2011年3月27日 緊急支援を開始
Vol.2  2011年4月11日
Vol.3  2011年4月26日

Vol.4  2011年5月5日
Vol.5  2011年5月20日 震災から2ヶ月の石巻(宮城県)へ
Vol.6 2011年6月30日
   ★ 2011年7月 能登地震から4年 追跡リポート
Vol.7 2011年7月31日
Vol.8 2011年8月31日
Vol.9 2011年10月16日 人と動物のためのチェロとバイオリンのミニコンサート開催
Vol.10 2011年11月10日
Vol.11 2011年12月12日
Vol.12 2012年1月22日

石巻支援リポート VoL.1  2011年3月26、27日
2011年3月11日午後2時46分に宮城県沖で発生したマグニチュード9.0の地震は、
大規模な津波となって二度に渡り青森岩手宮城福島茨城の海岸線に押し
寄せ数万人の死傷者を記録する未曾有の大災害へと発展した。

当協会では、地震発生から4日後に被災情報を得るため先遣隊を出発させた。
16日本部へ帰った先遣隊の報告を得て、26日第二陣が支援物資を乗せ石巻地区へと入った。

以下は、活動の記録である。

協会では、この活動報告を基に、現地で被災された飼い主さんや動物たちへの支援活動を
具体化し、今後 継続的に現地ボランティア組織と連絡を取り合っていくことになった。

皆様のご支援ご協力をお願い申し上げます。
                                                           現地報告 PPR事務局 平澤たいら

   船 ひといり証明書
           災害支援用禁止区域通証                 津波で流されてきた船が道路をふさいでいる石巻市街地

26日夕刻、車で東京を出発した我々は、途中数回の給油を余儀なくされ、
その都度一時間ほど給油行列に並ぶことに。しかし順番が巡っても給油料金
2000円と定められ、一回当たり13リットル程の調達しか出来ないため。結果 数か所複数回の給油待ちを
行なわねばならなかった。
東北地域、深夜のサービスエリアは、普段なら車の行き来も少ないはず。だが今回は違っていた。
大災害でガソリンの供給がストップした東北地方での給油は実に深刻である。
車は誘導員によって整然と列を進めているのだがSAのスタンドには長い車列が本線上にも伸びる。
知人や親戚へ物資を届けるのだろうか、関西や東海ナンバーを付けた、個人的な支援車両も多く見受けられた。
かなり時間を要したがなんとかガソリンを確保。
50キロほど遠回りだが仙台市内の交通規制を避け仙台市を北へ迂回するルートを選択。
東京を出発して8時間、
27日午前2時、東北自動車道大和ICで高速を降り、一般道をさらに西へ石巻へと向かった。
漆黒の空に半月が出ていた。
我々のヘッドライトの他大地を照らしているのはそれのみである。

普段なら、遠く松島や石巻方向に、早朝に船出する船の明かりや番屋、コンビニなどの明かりが見え平和な生活の匂いが付近一帯に漂うのであろうが今は消えうせている。

重たい空気の中を手さぐりのように車を進めて行く。
道路も波打ち思うようにスピードが上がらずひずんだ道路に、時折急ブレーキを踏み、ひやりとさせられた。
空が白み始める頃、27日午前5時20分石巻市街地に入った。すでに東京を出発して12時間が過ぎようとしている。
車を北上川の河口に広がる石巻中心地へと進めると次第に街の風景に変化が出始めた。
車を止め窓を開けエンジンを切る。気温はマイナス2℃。吐く息が白い。
潮と油のようなにおいが辺りを満たしている。初めて嗅ぐ匂いだ。風が吹きそして時折白い雪が混じる。
信号も消え明かりも音もない。かつて経験したことのない不気味な静寂が街には漂っていた。

そこで目にしたものは、我々の行く手を塞ぐようにして道に乗り上げた漁船、折れ曲がった電柱、
倒れ込んだ家屋、流されてきたおびただしい砂とがれきの山であった。


船 ひとなし

誰もいない町を回転燈を回しながらパトカーが早朝の街をパトロールしていた。
悲しいことに流された車や家屋から物を盗む人間が後を絶たないのだそうだ。
人や動物はどこへ行ったのだろうか。
街中
津波によってがれきの山となった石巻市街地
小学校

                   ↑ 避難所となっている石巻市立湊小学校
                         2階部分まで津波が押し寄せた

午前5時30分、石巻市湊町の湊小学校に到着した。
ここは、地域の避難場所となっていた。
校舎の2階まで津波を被っていた。避難者は、2階の一部と3階に避難していた。
総勢1356名。12日の段階では、わずか80名余りで有ったのだが。
避難者名簿作成は避難者の身の安全を確保してから
行われている。余震や地鳴りが続く中、避難者も受入側も生きることに必死だ。
毎日のように避難者名簿が手書きで修正されていく。

壁に名簿壁に名簿2
毎日増え続ける避難者名簿(湊小学校)

学校入り口
電気もガスも水道も無い。
↑津波で校庭はぬかるみ避難所へは靴底を洗う。




↑朝7:00、避難所生活1日の始まり 汚れたプールの水で洗濯をする。
地震発生から2週間 皆疲れている。無言だ。


バケツリレー

↑洗濯やトイレの水は、バケツリレーで校庭のプールから毎朝運ぶ。
プールの水も海水や汚泥が混ざり飲用できない。


カセットコンロ調理
避難生活、朝食用うどんを煮る 気温0℃ 
カセットコンロの燃料も残りわずかだ。

学校3階より

↑湊小学校の裏庭にも津波が押し寄せた(学校3階より北方向を撮影)
津波によって流されてきた車が無惨な姿をさらしている。


原則どこの避難所もペット持ち込み禁止だ。ここ湊小学校避難所は、個人の判断で、
小型犬と一緒に避難した人が居たというが、やはり動物を連れていることに問題があったのか、
27日現在湊小学校内に動物連れの被災者の姿を見ることは無かった。
*避難所によっては話し合いによりペット同伴を可能にしたところもある。次回リポートしてみたい。

一人の犬の飼い主さんに被災状況を伺う事が出来た。
平塚さん

                   小学校の教室で母親と避難生活中の平塚さん↑
                    パピオンの久太郎(オス4歳)の飼い主さんだ。

市内で魚屋さんを営む平塚則久さん。息子さんの大学入学祝いにと、4年前、奥さんと息子さんが
石巻市内で購入したのが、雄のパピオン4歳だ。
3月11日津波の日、湊小学校の近くの家には、4歳になるパピオンの久太郎が居た。
地震発生後、家へと戻った則久さんは久太郎を2階へ避難させると避難所となった湊小学校へと
走って逃げたそうだ。
その後を追うように津波が押し寄せて来たという。
翌12日に家の様子を見に行くと津波と地震で家の一階は全壊、傾いた二階はかろうじて全損壊を免れパピオンの久太郎は二階の押し入れの隙間に身を寄せ夜を明かしていたのだそうだ。
則久さんは、家の近くで仕事をしていたが津波が来る前は、ほんとうに津波が来るのかどうか
半信半疑(仕事仲間の数人も)だったそうである。しかし、巨大な津波は現実となって
地上から10数メートルもの壁となり街を襲ってきたと言う。
ゴ―ッバリバリッとものすごい勢いで則久さんの方へ迫り来る津波に、
家から 必死で近くの湊小学校を目指し走ったそうだ。学校入り口
小学校の門をくぐりぬけ校庭を学校玄関まで100メートル余りを走り、   湊小学校正面玄関
校舎の階段を4階まで一気に駆け上って家の方角を振り返ると、
まさにあらゆるものを巻き込んだ津波が則久さんの家を呑み込み、
今自分が走って来た学校の校庭や
玄関にまで押し寄せてきていたそうです。
次々と全身ずぶぬれで傷ついた被災者が避難してくる。
日が暮れて余震や地響きが続く中、真っ暗な一夜を過ごし、
地震発生の翌日、捜索のため家に帰って奥さんとパピオンの久太郎を無事発見したとのことだった。
現在もパピオンの久太郎は、避難場所へ連れてはこれず親戚に預けているという事であった。
不安と焦りの中、復旧作業はまだ始まってはいない。復興までは、あと何年かかるのだろうか。
避難生活は、今後いつまで続くのか、母親と避難生活をおくる”則久さん”今は何にも考えられない思考停止状態だそうである。
犬も今後引き取れるか考える余裕がないのだそうだ。


平さん         家の中

 ↑ 自宅避難中の平さんとふくチャン13歳男子                   壊滅的被害の一階部分(奥には車が壁を突き破っていた)

13年前東京都内に住む友人より野良猫から生まれた猫を譲り受け育ててきた平さん。

7年前には東京から故郷石巻へ帰りその後もネコ達と一緒に暮らし、3月11日震災の日、自宅で被災。
家は二階建て、一階部分の壁には近隣から車が流され突き破って止まった光景が。
室内は津波で海から運ばれた泥や家財で手の着けようがない状態。
辛うじて残った二階でネコと避難生活を送っていらっしゃいました。

取材の一週間前、震災後の20日、2匹残ったネコの内一匹が残念ながら亡くなった。

被災した石巻市湊小学校の近くの半壊した自宅で避難生活を送っている平さん。
取材当日、変わり果てた市街地、半全壊の立ち並ぶ家々を歩き、平らさんの住まいを探した。

平らさん家外
津波により押し寄せたがれきで埋まった家屋

人気のない(電気ガス水道無し)家々を前に避難する人を探すには、大きな声での呼びかけしかなく、
”平さんいませんかー”と声を張り上げて歩く。
するとハーイという返事が半壊した家の二階から、壁の隙間から顔を出す人影が。
車が一台通れるほどのやや整理された道から瓦礫をよけながら指示された一階へと近づいて行くと。
一階の壊れた勝手口に人の姿が。防犯扉にと、大きなテーブルを
立てて外と遮断されているその開口部の扉?が横に動き、中から女性が顔を出した。
探していた平さんだった。

平らさん出入り口        家の1階

  家の出入り口(立て掛けられた机でドアの代用)                      家の中(1階部分)へ入ると

         

平さんとフクちゃn

                 平さんとフクちゃん

避難所へ行かない理由は?の問いに、「オス猫の”ふくチャン”が避難できないから」と、平さん。
13歳になるオス猫のフクちゃんは、最近片目の摘出手術を受けた。
又、全体疾患で衰弱が激しく取材の日も、暖かそうなお布団を引いたバスケットの中にお座りし、
電気が停まったこたつの中に静かに座っていた。
フクちゃんは、被災したこの家のことや私たちのことも全て承知しているという風に
凛としていた。目がとても印象的なネコなのだった。
余震や地鳴りも頻繁に起こる。
電気もガスも水道も復旧のめどすら立たぬ中今は真っ暗な夜、朝が来るのが待ち遠しい一日だという。

なぜ避難所へ行かないのですか?の質問に「ふくチャンの命は私たち人間と同等なの」
と平さん。支援する理由は、自らの境遇よりも、「市内で動物ボランティア活動をしている団体や復旧した
動物病院などを優先的に支援してほしい」と、筆者は支援先を書いたメモを渡されました。

今後も全ての生命あるものへ向けての長期に渡る支援活動が求められている。
ふくチャンと平さんそして動物を含む全ての被災者に平穏な日々が少しでも早く訪れるよう。
継続支援活動の輪を広げていくことを約束し現場を離れた。
*平さん依頼の「アニマルクラブ石巻」 http://a-c.sub.jp/index2.html
但し、アニマルクラブ石巻のメール、電話、FAXは現在は開通していません。2011,3,29現在

 

                菅原さんご夫妻

                       菅原さんご夫婦と武蔵くん4歳

16年間一緒に暮らした犬が亡くなり、夫婦二人だけの生活になった4年前、里親募集の記事を見て
応募。その後1年待ってやってきたのが、武蔵くん(雄3歳)だ。

元気な武蔵くん、4年間病気せず、菅原家の家族として大事に育てられてきた。

3月11日金曜日、震災のあったその日は、いつもと様子が違っていた。武蔵くんにちょっとした変化があったという。
その日の朝、菅原さんの奥さんがお孫さんを連れて幼稚園に行こうとすると、
一度も駆け寄ったことの無い武蔵が菅原さんと孫を追い掛けて来てしきりに吠えたという。
地震と津波の前兆だったのか?!いまでも不思議な体験だとその日(3月11日)を思い出しながら
語ってくれた。

取材の日、石巻市中心街と北上川を隔てた対岸を結ぶ398号線に掛けられた橋のたもとに菅原さん
ご夫婦と武蔵くんが座っていた。かろうじて流されずに済んだ一車線の橋の上を救援者や被災を免れた車が 渡って行く。人も車もまばらだ。ほとんど街には音がしない。信号機も点滅を停めている。
どこへ行くのでもなく何するでもなく避難所を出て2人と一匹は、橋のたもとに座っているのだ。

              菅原さん橋のたもと

今後は宮城県内に住む娘の所に身を寄せることになったという菅原さんご夫婦。
”震災後は武蔵との結びつきが強くなったように感ぜられる”と、疲れた表情を見せながらも
語ってくれた言葉に救われた気がした。
一日も早い復旧と継続的な支援が待たれている。

              菅原さんほcおうきょ

武蔵くんの食べ物や不足なものはありませんか?の問いに
”武蔵は特別食で普通のフードは食べないです、野生だからね”と。我々が差し出した、犬用のフード
を遠慮された。衛生状態が悪いという事で、除菌用ウェットティッシュをお渡しすると、
深々と頭を下げられ、瓦礫の中を避難所へと帰って行った。

この初動支援の取材を通して、東北全体で被災された全ての被災者と被災どうぶつたちに一日も早く、
日々の平穏な暮らしが戻るよう 支援し続けなくてはいけないと感じた。           取材文写真 平澤たいら

誰もいない

  橋の前 歩道橋
  避難者2人  

”避難所で一緒に暮らすことは、無理”と、あきらめずに同じ境遇の飼い主の方々と話し合ってみては如何でしょう。

何より大切な事は、飼い主の方がまずリラックスしていただくことなのです。
それにはペット同伴が必要ですね。

避難所にペットを連れていく場合は、口輪をはめる、ゲージに入れるなど、対応していただくと良いと思います。
人と同様、動物もショックを受けて普段おとなしいワンちゃん、ネコちゃん等も興奮し飼い主さんであっても
噛んだり、あばれたりする場合があります。 

未曾有の災害そして避難生活に対して、私たちは今後も継続して一緒に考え
被災された皆さんと 動物達を支援してまいります。

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石巻支援リポート VoL.2  2011年4月11日

今回当協会の支援に当たり、石巻市市役所・石巻市災害対策本部
・防衛省航空自衛隊松島基地の皆様に深く感謝申し上げます。
何よりも、東松島市立矢本第一中学校千葉和彦校長並びに石巻アニマルクラブ代表阿部智子氏のご協力に対し厚く御礼申し上げます。

皆様からの温かいご支援有難うございます。
当協会支援ボランティアが宮城県石巻市に出動、現地で活動を開始しました。
支援物資も届けられています。
被災された皆様と全ての動物たちに一日も早く安らかな暮らしが取り戻せますよう、
当協会は今後も微力ながら独自の支援を長期に渡り続けまいります。

*今後、被災地での支援活動の詳細は随時掲載させていただきます。

higashi    mini
                   2011年4月5日 宮城県 東松島地区
石巻リポートVoL.1でご紹介した平さんの愛猫”福ちゃん”は29日午前4時に亡くなっていました。 
 3月11日の震災後も、平さんは二匹の猫のために避難所へ入らず倒壊した自宅で避難生活を続けていたことは前回 のリポートで紹介しました


平さん福ちゃん お布団 北上川
3月27日の平さんと在りし日の福ちゃん 亡くなった福ちゃんのバスケットを手にする平さん    福ちゃんが水葬された北上川(手前)と太平洋(遠く)
                          このバスケットも石巻アニマルクラブに寄付された   対岸は被災した石巻湊地区(撮影・日和山公園より)

3月20日にサライちゃんが亡くなり、その後も福ちゃんを必死に看病していた平さん。
3月29日の朝は平さんが見守る中福ちゃんは静かに息を引き取ったそうです。
福ちゃんとサライちゃんのご冥福をお祈りいたします。合掌


お墓   被災した家

◆石巻アニマルクラブへ支援物資を届けました。

支援物資の主な内容:ガソリン、ペットフード、石油ストーブ、灯油、医薬品、乾電池、ラジオ、水、など。
同クラブは石巻や松島、女川地区への動物ボランティア組織です。

阿部さん著書          阿部代表
 阿部さんの著書「カイが行くはずだった場所」     石巻アニマルクラブ代表 阿部智子さん 
この本を読んでアニマルクラブのボランティアに
参加した人も多い。定価1,300円 石巻アニマルクラブ

アニマルクラブも被害を受け 建屋が傾斜 動物支援ボランティア5名
今回の震災で飼い主避難者が膨れ上がった。毎日一時預かりの相談が後を絶たない。

「動物は人をいやすために生きているのではない」
サラ金の借金で夜逃げした主人に置き去りにされた猫、
犯罪を犯し牢屋に入れられた主人が置いていった猫、
老夫婦がもう飼えないと預けに来た老犬、
親に虐待された子供がストレスを発散させるために逆に虐待され保護されたネコ、
みんな人間の勝手によって命を削ってきた猫や犬ばかり。

アニマルクラブに保護されている傷ついた猫や犬一匹一匹に人間のエゴがからみついている。


アニマルクラブ アニマルクラブネコ 診療施設
アニマルクラブには保護された猫62匹と年老いた犬たちが暮らしている          避妊去勢手術の施設も被害を受けた
     (傾いた診療施設)

○アニマルクラブの避妊去勢オペ活動

・毎週2回知り合い獣医師の協力で避妊去勢手術を一般の半額程度で実施(お金の無い人は分割払い)
  これを週3回にしていきたい。
・飼い主が年をとると猫や犬の面倒を見られなくなるのに避妊や去勢を施さないからいたずらに頭数が増え、
  結局保健所へ持ち込み処分するという例が後を絶たない。

保護された犬    今野さん
被災地で保護された犬(東松島市月浜地区)         アニマルクラブでボランティアを始めて4年の今野さん
17歳と7歳二児の母親である。

抱いているのは被災者から一時預かったゴンちゃん7歳。
アニマルクラブの施設が一杯のため既に3頭を預かり里親を
探しているが、これでもう1頭増えることに。
自らも被災者の今野さん。震災後は職場を解雇され先行きは不安
”でも家族とたちが一緒なので大丈夫。やっていける”
持ち前の明るさには胸が詰まった。

                
今回の震災で保護を求める人々は深刻だ。
自らの命と生活が危ぶまれる中やむなく動物の一時預かりを託してくるのだ。
行政は現在のところ被災動物の保護に関し具体案を示してはいない。
一日でも早く飼い主と動物たちが一緒に暮らせる生活を取り戻せるよう災いの終息を願うばかりだ。


○震災の比較的被害が少なかった人達が里親になってくれた


里親1  里親2
今日もレトリーバーの雑種が里親に引き取られていく    犬の安心した様子と新たな飼い主の喜ぶ姿が印象的だった。
                               阿部さんも嬉しそうだ。


○石巻アニマルクラブのこれから

迷い犬 里親3
    被災地をさまよう犬(東松島市宮戸地区)    震災後は毎日のように保護相談の問い合わせがある

猫や犬の処分に反対する阿部さんは、引き取り手の無いイヌやネコ年間8000頭を
富谷町にある宮城県動物愛護センターに持ち込み炭酸ガスで
処分する方法や処分そのものに反対を続ける一人だ。
震災で受けた傷は人も動物も一緒。長い時間がかかるだろうがあきらめずに取り組んでいきたい。
イヌや猫を人間の理由で捨てたり虐待したりしない世界を作りたい。そう訴えている。


避難所で避難生活をする小学校五年生(今春6年生に)と愛犬タロウ

お散歩
毎日の日課はタロウ(柴犬1歳)の散歩だ。お寺の裏山牧山(255メートル)の山道がお気に入りのコース。
支援チームは、朝の散歩中に彼女たちと出会った。
「避難所には他に5頭の犬がいて、フードが無くなって困っているんです」とお二人。
アニマルクラブにフードを届けてもらうよう伝えます。とその場を離れた。
翌日アニマルクラブの今野さん橋さんチームが法山寺に二人を訪ねフード他支援物資を手渡し約束を果たした。

                                                                現地報告 PPR事務局 平澤たいら

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石巻支援リポート VoL.3  2011年4月26日

東松島地区で数少ない愛玩動物と一緒に避難が許されている矢本第一中学校を訪ねた。
停電で昼間でも薄暗い教室の中。川村祐介さんは 愛犬そら君(パピオン)と床に敷かれた毛布の上に座り質問に答えてくれた。
今回が初対面の川村さんだが、どこか元気がなく何かわけがありそうだった。
動物との避難生活にお困りのことは無いかという問いに始まり、気の毒だが被災当日の話に及んだ。

kawamurasan  避難所 避難所ネコ
   避難所で愛犬ソラと生活する川村祐介さん              矢本第一中学校で避難生活を送る飼い主と愛玩動物たち

◆津波からの脱出劇
3月11日の午後、川村さんは自宅で被災。揺れが収まると、”津波が来るぞっ”の声に、4年前海から500メートルのところに建てた家から着の身着のまま 母親と弟そして犬と一緒に飛び出し、車で必死に逃げた。しばらく車を走らせ逃げようとした道は既に渋滞が始まっていた。一方通行を逆走して別な道を行く。
左手海岸方向から黒く盛り上がった津波が押し寄せて来ていた。母の運転する車は70キロくらい出ていたという。気がつくと 黒い水が車の前後にサーッと押し寄せて来ていた。とっさに車を捨てて、全員目の前の二階家に飛び込んだ。その家の住人が”もっと上に”と二階から叫んでいる。
あわてて階段をよじ登るとゴーッという音と共に津波が一階部分をさらっていった。二階にも水は上がり押し入れの中で体を押し込むようにして家主と川村さん達は夜を迎えた。
その夜は、”異常に星がきれいだった”と川村祐介さんは、家族と犬のそら君が助かった様子を静かに語ってくれた。

  ie  
       川村さんの自宅は津波で一キロも流され田んぼの中に


美大を目指して勉強中だった川村さん。優しく繊細な青年に見える。今の悩みは毎日悪夢にうなされていることだという。
更に悩みを聞くと”地震の日、実は10匹の猫を自宅に残してきたのだという”避難する緊急時どの猫を連れていくか
迷っているうちに、”車にすぐ乗れ―”
の声に促され、結局一匹も連れ出せなかったことが心に引っ掛かり取り除くことが出来ないいるという。
今、自宅があった場所から一キロほど離れた水没した田んぼの中に二階部分だけが残されて朽ちているという。
”もしかしたら猫が生きているのではないか”そう思うと夜もよく眠れないのだそうだ。

地震から4週間が経ち既に猫が生きている確率は低いかもしれないが、水没した上に原形をとどめている二階屋。
もしかしたら生きているかも知れない。
サバイバル力の優れた猫族なら可能性もあった。
父親のかずゆきさんも行けるものなら行ってみたいと。
早速、矢本第一中学校校長の千葉さんへ水没した被災者家族の家に立ち入れるようお願いしてみた。
千葉校長は様々な交渉の末に、自衛隊が胸まである胴着を貸してくれるという吉報をもたらしてくださった。
翌日陽が昇り少し外気が温まったころ川村家族の男性3人が流された家に捜索で入ることが決定した。

◆4月7日 捜索の日
天気に恵まれた。昼過ぎに川村さんは父を先頭に水没した家に向かって歩き出した。
田んぼには流れてきた車や壊れた家財などおびただしいかつて人の手によって生活や暮らしの一部となっていた物体が物言わず朽ち果てていた。

pet   いえ
      2階 部分だけが原形をとどめていた             倒壊した自宅の中へと入っていくと

15分ほど水の中を慎重に足を運び二階部分のみを残した家にたどり着く、みんな無言だ。
壊れた窓から家の中へと入ってゆく、天井は抜け落ち海藻が絡まっている。
津波によって海から運ばれた砂と地上の土や何やらが一面にこびりついていた。
川村さんが自分の部屋へと入って行った。父と弟が続いた。何かを感じ取った気配。そこには一匹の猫が亡くなっていた。ベッドの上に横になって。
白黒の愛称ブッチーだった。全員言葉を失っていた。
予想していたことではあっただろう、が現実は残酷だった。
父のかずゆきさんも男一生の仕事として自慢の家だった。建ててから4年、新築同然だった家の惨状を突き付けられ
ショックを隠しきれないでいる。
父親と祐介さんは水没した家の中からアルバムを探し出しページをくくっている。
一瞬時間が後戻りしたように、幼稚園のころの兄弟の写真を見つけ 笑い声も。が、二人ともすぐ我に返ると、
アルバムを集め始めた。そして柱に引っ掛かっていたビニール袋を手に取り、アルバムを詰め終わると
未練をかなぐり捨てるように 後ろを振り返らずにもと来た道を水没した田んぼの中を帰路についた。
ブッチーの亡骸は我々協会ボランティアがお預かりした。

                     butti-
                            元気なころの川村さん家のネコ達 左がブッチー
                                 川村さんからのメールより

夕方、私に川村かずゆきさんからメールが届いた。祐介さんは納得した様子です。と記されていた。
そして一枚の写真が添付されていた。元気なころのブッチーの写真だった。
その後、ブッチーは仙台市のボランティア看護師さんの手でお骨となって川村さんのもとへ帰って行った。
もう一匹の亡きがらもその後の捜査で見つかったそうだ。
祐介さんの夢の中に元気なころの10匹の猫たちが舞い戻ってくれることを願いたい。    取材写真・文 平澤たいら

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石巻支援リポート VoL.4  2011年5月5日

4月26日再び石巻アニマルクラブを訪ねた。

3月11日の地震と津波で傾いた診療施設はクレーンでつり上げられ、まっすぐに建っていた。
土台も補強され、診療室内も整えられていた。震災前に行っていた避妊去勢オペが可能なまでに施設は
回復していた。

施設    窓辺のネコ

施設 床    朝焼け  
しかし、周辺は津波の水が引かずあちらこちらが水浸しとなっている。
水没した道路がこの施設を利用する飼い主さんの妨げになっていた。
クラブ代表の阿部さんは、支援獣医師のすすめで石巻市内の大規模ショッピングセンター”イオン”内の
動物病院の一角をお借りして5月から去勢避妊のボランティア活動を再開したいと意気込みを話してくれた。

 

■迷子札とマイクロチップを普及したい!

阿部さんは震災後、複数の飼い主さんから迷子札や認識チップの埋め込みをしておけばよかった、の声を聞いた。
そこで今後は、マイクロチップ埋め込みの普及活動を展開したいという。
震災後やむなく飼い主は愛玩動物と生き別れ、その後路頭に迷っている動物たちを保護してきた阿部さん。
身元不明の犬や猫がほとんどと嘆く。元の飼い主に返してあげたい。
”せめて迷子札が保護されている愛玩動物たちにあれば飼い主が見つけられる”そんな考えが今回の新たな
取り組みとなった。
ねこ    イヌ

愛玩動物に迷子札(基礎情報)とマイクロチップの両方を備える運動の輪を広げようと、地元獣医師や
ボランティア獣医師の援助を得てスタートしようとしている。
クラブに集まった義援金でマイクロチップを購入し一頭2000円位で施術しようというプランだ。
始めは無料で、と考えたが2000円いただければ次のマイクロチップの購入費に充てられるので継続して
の普及が可能だと考えたからだ。
愛玩動物は飼い主にとっても心の宝。いざという時に自らの家族の一員である愛玩動物を守るためにも
普段から基本情報とマイクロチップの埋め込みを備える必要があると普及への意気込みを語ってくれた。
施設のねこ   白いイヌ
 
*協会では今後も迷子札やマイクロチップの全国普及に向けての支援を続けいく。
                                                   現地報告 PPR事務局 平澤たいら

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石巻支援リポート VoL.5  2011年5月20日

震災から2ヶ月の石巻(宮城県)へ

    3月11日の地震と津波で被災地宮城県は壊滅状態だった。

    

 
  震災から2ヶ月余り経った5月16日再び石巻を訪れた。

  歩道橋      歩道橋
      湊小学校前歩道橋                  湊小学校前歩道橋(現在)
        
  湊小学校      湊小学校
          2011年3月27日                     2011年5月16日
           湊小学校
                       湊小学校(現在)

ボランティアは自らの手で

宮城県石巻市住吉地区、お昼前の11時。

旧北上川河畔で釣具店を営んでいる末永眞司雄さん(65歳)
の被災した

ガレージに石巻市住吉地区の人々が昼の配給食糧を受け取りに集まってきていた。

今日の配給が住吉さん他ボランティアの手によって机の上に並べられている。
一人に対し、おにぎり2個、野菜ジュース2個、ヨーグルト1個、カップラーメン1個だ。


”ごくろうさん、だいじょうぶかえ んだあ でえじょうぶだあ”

末永さんは一人一人に声をかける、そして集まる人達がそれに応える。大半は高齢者だ。


そのそばでくつろいでいるのは、捨て猫だったチャコ(8歳♀)地震と津波を生き延びた一匹でもある。

   末永さんチャコ   チャコ 

末永さんは震災後、自ら率先して宮城県石巻市住吉地区のボランティアをかって出ている。

自宅が全壊し片付けもままならない中、炊き出しは14日から末永さんの倒壊した家の中に
残されていた米や鍋を使って始めた。

この地に生まれて65年間、現在の自分を育ててくれた石巻と住吉地区に恩返しがしたいのだという。

例年なら今頃は一年で一番良い季節。日和山の桜に続き北上川河口では白魚やセイゴが獲れ
新緑の中、鯉のぼりが泳いで町は華やいでいるのだ。

それなのに今は石巻全体が重い鉛で縛られたように沈みきっている。

   河口    
    日和山から旧北上川と太平洋を望む                        湊地区

    
   釣り船   釣り船
       末永さんの家は全壊したが、商売道具の一つである釣り船二艘のうち一艘が奇跡的に津波に耐え浮いていた
     
住吉町で一番の漁師なので”住一丸”と名付けた(本人談)


震災時、船をロープで止めた場所は水底が砂地で津波が船底にぶつかっても壊れなかったのだそうだ。

末永さん自慢の船だ。

早く普段の日常が戻り、釣り客を乗せて目の前の旧北上川や太平洋で釣りがしたい、末永さんの当面の夢だ。


被災地に届く手紙

末永さんの倒壊した家の中に手紙が配達されていた。

表札も何もない倒壊した家に郵便物が届いている。

不思議な光景だが、これが地域のつながりの深さだ。

郵便配達員の方々は自らの配達地域をそして住んでいる人を把握しているのだ。

          手紙

当協会が支援する石巻民間ボランティア組織のひとつ、石巻アニマルクラブから認識用チップ普及の便りが

末永さんにも届いていた。

”災害後の迷子犬や猫の飼い主特定は急務”と被災した観点から石巻アニマルクラブ代表の阿部さんが考える

チップ普及運動の一環のお知らせハガキだった。


生き延びた”ガア子ちゃん”

旧北上川の岸辺、末永さんの船のすぐそばに小さな岩が顔を出し一羽のアヒルが日向ぼっこしていた。

ご近所でも有名な津波に耐えたアヒル”ガア子”だ。

      があこ
       アヒルの ”ガア子”を指さす末永さん

                歩くチャコ
                           住吉公園を歩くチャコ

 末永さんの自宅は近くの公園「住吉公園」に隣接しているため捨て犬や捨て猫が多く付近の住民の悩みの種でもあった。

住吉さんの飼っている三匹の猫も以前公園に捨てられていた猫達だ。

アヒルも同じく公園に捨てられていたという。

その後捨てられていたアヒルを不憫に思った住吉地区の住人が毎日餌をあげていたら、アヒルはどこへも行かず
、ここ住吉公園と公園に沿って流れる旧北上川に安住しているのだそうだ。

3月11日震災の日以後しばらく行方がわからなかったが3月15日にひょっこりどこからともなく

帰ってきて大好きな岩の上にお座りしていたサバイバルな”ガア子”さんなのだ。

              があこ岩の上

町の人たちが生き延びたアヒルを震災前より愛おしく大事にしている様子がうかがえ、心温まる思いがした。
           
                末永さん
        
 大災害を生き延びた全ての命。その大切さが身にしみる被災地の光景なのだった。


3月11日その時

震災と津波が襲った3月11日、津波警報と同時に末永さんは妻啓子さんと母親を1キロ離れた日和山公園へ

避難させると再び自宅へ戻り猫を捜す。

家中捜すが地震に驚いて逃げてしまったのか3匹の猫はついに見つからなかった。

猫達に「生きろ」と心の中で呼びかけ自宅を振り向きもせずに一目散に日和山公園へと走って逃げた。



    
                        日和山公園

        
日和山は標高56.4メートル。眼下には旧北上川河口とそれに続く太平洋が広がり、左に牡鹿半島、
右には遠く松島や蔵王連峰、石巻市内も一望できる。
公園内ではソメイヨシノをはじめとする約400本の桜が観賞できる。市民憩いの公園となっている。

2011年3月11日午後3時を回った頃、その時、公園に続く道路は頂上へ急ぐ人と車で渋滞していた。

渋滞に足踏みしながらも末永さんは何とか頂上へ逃げ延びる。

市街を見下ろす場所へ移動する。眼下のいつも見慣れていた石巻市街地は一変し真っ黒な水に覆われていた。

家々が次々と津波にのまれている。それを眺める避難者たちからは絶句と恐怖のため息、すすり泣く声が。

津波と余震は何回も襲ってきた。一晩中眠れぬ夜を過ごした。

翌日からも飲まず食わずの2日間が過ぎ、3日目の3月14日、津波の引いた街の中へ、自宅のあった場所へ

もどることにした。空腹で体力の限界を感じていた。

自宅に到着すると自宅は津波でほぼ全壊となっていた。

しばらくショックで立ちすくんでいたが気を取り直して猫を捜した。

すると壊れた家の中からかすかな鳴き声が。目をこらすと2匹の猫が元気で生きていた。

  ねこ

どっこい生きてらあ。

住吉公園には相変わらず捨て犬や捨て猫が後を絶たないそうだ。

「毛並みのいいペルシャや血統書つきの犬をあげますという人達もいるが、

良い猫や犬の貰い手はいくらでもいる。捨て犬や猫をもらってくれる人は少ない。

だから私はその子達と一緒に暮らしていくんだ。住一丸で獲った魚は石巻一の美味。

みんな俺に感謝してるべさ(笑)」

        後ろ姿
         末永さんが面倒をみる犬や猫はみな健康で幸せにみえる。

沈下した護岸の真ん中を堂々と歩く末永さんとチャコの後ろ姿に

震災をモノともせず、どーんと生きていく、東北に生きる人々や動物の太い生命力を感じた。


そして 私達が失いかけている”命あるものたちが、その命を尊重しながら共に生きている”姿が あった。
   
                                                       写真・文 平澤たいら

*末永さんは捨て猫や野良猫を自宅のガレージに寝床を作り面倒をみる。

  避妊や去勢は石巻アニマルクラブの応援で処置している。

  今回当協会は末永さんから要請のあったフードを無事お届けした。

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石巻支援リポート VoL.6  2011年6月30日

6月28日から30日の3日間、再び宮城県石巻市と東松島市を訪れた。

今回は、3月11日以後取材させていただいた方々を中心に再訪。

震災から3ヶ月、彼らと動物たちはどうしているのか?

3日間をリポートにまとめた。

■宮城県石巻市中心地へ

28日石巻市街地へ入って行く。国道沿いの大型スーパーや24時間営業の

ファストフード店が再開していた。街にやや生活感が戻ったようだが。

旧北上川の河口に展開する石巻港に近い中心地へと足を向けると、信号の消えた

交差点にはマスクをした警察官が立ち交通整理をしている。自転車やバイクはたまに見受けられる程度。

自衛隊の車が行きかい黄色い土ぼこりが舞っていた。

3月27日の早朝の気温はマイナス2℃だったが、6月28日,この日の朝は22℃昼には30℃

 橋     オートバイ



を超える、と、車のラジオから地元の天気予報が伝えている。

災害時3月との気温差はすでに22度。夏へと季節は動いていた。

窓を開けると、臭う。開けた車の窓からハエが飛び込んできた。

想像以上にここでの生活は大変だと感じる。

車をさらに進め湊小学校へと向かった。


■湊小学校へ

 湊小学校  湊小学校  学校

     2011年3月27日          2011年5月16日             2011年6月28日

 歩道橋  歩道橋 歩道橋

 湊小学校の校庭はどろどろ状態だが3ヶ月前の喧騒は去っていた。

体育館には七夕飾りが飾られ避難中の子供や大人の願い事を記した短冊がつるされていた。

避難教室の入り口にはハエや虫よけネットが工夫され仕切戸として使われている。

避難に使われている教室内の気温は外気温より4℃ほど高くこの朝26℃日中は30℃を

容赦なく超えるだろう。それぞれの地区に分かれて避難教室が設定され、教室の中には被災した

人々がじっと暑さに耐えている姿がある。ラジオの音もない。静かな避難者の時間が流れていた。

   七夕   カーテン
 
   七夕短冊   入り口

朝は、パンかおにぎり。昼もパンかおにぎり。パンは傷まぬよう総菜パンは無く菓子パンのみだ。

そして夜はお弁当。これでも最近メニューが 増えて良くなったのだそうだ。

湊小学校以外で避難している人々も時間になると毎日 配給食を受け取りに小学校を訪れなければならない。

  弁当  夜の配給食。1日の中で唯一のお弁当。

  学校3階より         家
             2011年3月27日                          2011年6月28日             


■動物たちは?

動物たちはどうしているのだろう?3月湊小学校で取材させていただいた平塚さんは

既に避難所を出ていなかった。同じ教室で避難生活を続けている被災者に平塚さんの消息を

訪ねた。するとすぐ携帯で連絡していただき直接平塚さんと話をすることが出来た。

平塚さんは現在石巻市内の会社の寮へ身を寄せ、犬は実家の母に預け

一週間に一度会いに行っているとのことだった。動物と一緒の避難生活はなかなか受け入れ

られない現実が。”犬と一緒に住めるようになったら連絡ください”と、

再会を約束し電話を切った。


平塚さん
 3月27日当時の平塚さん           6月28日湊小学校避難所に張られたメッセージ

湊地区の大まかな瓦礫は撤去が進んでいた。街に残され半壊した住宅内の

掃除に自衛隊員がマスクをし汗みどろになって立ち働く姿があった。

目を転ずると湊小学校の仮設住宅トイレを掃除している。これも自衛隊員だ。

湊小学校の裏手のお墓も流された車が片付けられ、お墓の上に乗り上げた

車の姿はもうない。自衛隊員が窓を開け放った自衛隊トラックの中で

疲れた体を休めている。

(校庭の一角で津波で堆積した泥の中にアリが巣を作ってせっせと働いている。

一か月前には見られなかった姿だ。)

夏本番を前に被災地の人々も復興に向け休まず活動を続けている。

疲労を見せながらも東北の人々と動物たちは粘りを見せている。

私たちの支援も本当にこれからなのだと身が引き締まる思いがする。


■お盆までには

リポート5で紹介した末永さんを訪ねた。

                             チャコはお昼寝中zzzzzzzz

   
  大工仕事の手を休め取材に応じてくれた 一人での作業だ

末永さんを捜すと。チャコの寝ている駐車場の裏手からトンカンギーコギコッと、

ノミやのこぎりの音が聞こえてくる。

音を頼りに歩いて行くと

倒壊した末永さんの家の隣家でノミを振るう末永さんが居た。

事情を聴くと。


  s2
                   今後、行政の決定でこのエリアから立ち退くこともあるという 不安は尽きないが

お年寄り3人が暮らす家3軒を8月のお盆までに住めるようにするためリフォーム作業中とのこと。

末永さんの隣3軒にはお年寄りが身を寄せ合って暮らしていた。

今回の津波で3人のお年寄りが暮らす3軒全てが津波によって被災したのだった。

20年前は大工だった末永さん、いつまでかかるかわからぬ仮設住宅の建設を待っていては

らちが明かぬと、津波で流されてしまった大工道具を買いそろえ、お年寄りのために

奮闘しているのだそうだ。


  
      末永さんの家はそのままだった

自らの家は相変わらずの全壊状態。避難所に寝泊まりしながら一人で大工仕事を懸命に進めている。

釣り船や漁の話をすると、”来年ぐれえまで大工仕事あっから”と、当面は復旧を最優先する

仕事に就くそうなのだ。

お盆までに3軒同時に完成させる。家を分け隔てなくリフォームして行くのだ。

末永さんの優しさの基本がこんな考えにも見て取れる。ほんとうに優しい力持ちだ。

最近、末永さんの流された船の内一艘が近くの中学校の校庭で見つかり引き取ったという。

見に行くと、旧北上川住吉公園脇には、二艘になった末永さんの船が川面に繋がれていた。

k1 k2 k3
   旧北上川河口付近                  末永さんの船2艘

例年なら今は、青ウナギの最盛期だそうだ。街の料亭が再開を決めた話もある。

来年は末永さんの捕ったウナギが料亭の食通をうならせるか。

「怪我の無いよう、元気で」と、再会を約束してその場を離れた。

■ガア子 人気者に

   

         わたしがガア子です〜〜              津波で生き残ったアヒルは地元の人気者だ

前回紹介した末永さんの船が繋がれている住吉公園の川べりにアヒルの”ガア子”が

お友達のカモさんと暮らしている。石巻では新聞やラジオで紹介され、かなりの人気者になっている

ガア子。

29日は、早朝から餌をあげる人や散歩の途中で見に来る人たちもチラホラと。

津波を生き残った一匹のアヒルを見守る石巻の人々の視線は温かい。

 
           朝日に輝くガア子さん

■目の前の出来ごとに 振り回されるが

石巻アニマルクラブ代表の阿部さんを訪ねた。

  

挨拶もそこそこ、クラブへ次々と相談にやってくる人への対応に追われる阿部さん。

相談の内容も少しずつ変化が。以前のような救急対応の時期は峠を越した様子だが。

相談者の一人、女性は「3月11日の地震と津波で半壊した家から驚いたネコが逃走。

捜していたところ最近になって家の周りで発見情報が。そしてついに見つけたが

 阿部さん  阿部さん

                捕獲器の使い方を説明する阿部代表

もともと怖がりのネコで近寄ってこない。夜は半壊した家の中にいるようなので捕獲する

にはどうしたらよいか?」阿部さんは捕獲器の使い方を説明。

当分はケージでケアするようアドバイスし捕獲器を無料で貸し出していた。

すると、アニマルクラブに別の相談者が「海岸沿いの半壊した工場内に子猫が居るので助けてほしい」

と新たな相談が。早速同行してみると、津波で壊された石巻港湾地区にある食品加工工場の二階

にその子猫3匹が重なり合っていた。

  a4  a5

発見者も2匹の猫を飼っている。

自ら育てたいが忙しい復興生活の中なので無理なのだそうだ。

結局、阿部さんのところで引き取ることに。

 a6 a7

阿部さん「本当は発見者のお宅で育ててほしい。ここアニマルクラブも限界がある。もっと大きな

動物愛護団体が石巻にもあるが最近、里親引き取りを早々に取りやめ、アニマルクラブへ相談したら

、と話を振っている事実もあるという。こうした目の前の命のことに振り回されているが、今後は

出来ないことは出来ないと、はっきりお断りしたいのですが」と、いつも元気な阿部さんだが

震災後増え続ける動物保護問題にやや疲れも見てとれる。「小さい団体なので、個人でできることには限界がある

今後もがんばって続けて行くがどこまでやっていけるか」と不安の色も見え隠れしていた。

阿部さんは今、アニマルクラブに保護されたネコやイヌの画を描いた展覧会(3月12日於仙台の予定だった)

の発表を待たずして3月11日津波で亡くなった、五井美沙(ゴノイミサ)さん亨年27歳の絵画集を

今年の秋に出版するため力を注いでいる。



■震災から3ヶ月被災地の動物支援は
  現地の人の粘り強い活動により支えられている


が、限界は少しづつ近づいているようにも感じた。被災地の人々と動物たちは今も

遠く離れた私たちからの支援を待っている。

*協会は今回フィラリアとノミ・ダニの予防薬50頭分をお届けした。              写真・文 平澤たいら

 

石巻支援リポート VoL.7  2011年7月31日

 
7月の支援活動は2度に渡り行われ、支援範囲も石巻市を中心に東松島市・女川町・南三陸町へと
  広げられた。

 
■一時避難所から仮設住宅に

  minamisanriku   kanban
            南三陸町                  小学校グランドに建てられた女川町の仮設住宅
 
 震災から4ヶ月余り。被災した人々と動物達も一時避難所から仮設住宅への移設が少しずつ始まっていた。
 だが仮設住宅の抽選に漏れた人も多く、土地の確保が難しい地域の仮設住宅建設の遅れも目立つ。

  inu  minamisanriku2  neko5
  女川町の仮設住宅で生活中の犬     南三陸町の壊れた堤防       人がいなくなった女川周辺の竹浦港で生きるネコ
 
 

  仮設住宅で生活を共に出来る犬たちも基本は 外飼いが多い。猫はかなりサバイバル能力がある。
  人間が居なくても平気?

■宮城県東松島市で被災した川村さんとソラ君を訪ねた

  
そこには、仲良く暮らす3世帯と3匹が
 
   ie  kawamurasan
  震災直後の2011年4月7日撮影 川村さん宅は津波で一キロも流され田んぼに 2011年4月7日撮影 中学校避難所での川村さんとソラ君

     ●7月 仲良く暮らす3世帯と3匹
    koko  
  石垣さんとMダックスみみちゃん 津田さんとミニ柴ココちゃん   川村さんと元気なソラ君 2011年7月撮影          

 川村さん家族は二次避難所で他の2世帯2匹と一緒に元気に避難生活を続けていました。
  ワンコ達も落ち着きを取り戻した様子。
  この8月に、二次避難所に併設して建設中の仮設住宅に3世帯とも入居が決まり表情にはやや明るさが戻っていました。

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  石垣さんとみみちゃんお出かけはいつもこのスタイルで     川村さん親子と津田さん(入居が決まった仮設住宅と菜園の前で)

  避難所の空き地に野菜を植えるなど、元漁師だった津田さん”いつ漁に出られるか分からないがくよくよして いても仕方ないので、野菜を作ったり今できることを毎日精一杯やっている”。
  現在高校3年生の川村さん は来年受験だ。
  ” 美術の勉強を本当はしたいがこの状況では無理”と、進学の話になると声を細めてしまった。
 震災と津波は若者の未来にも影を落としている。そんな中、3匹の犬たちは元気だ。
 人々の一歩を支えている彼らの力に感謝したい。

 か さんぽ 
      ソラ君                    仮設の前に立つ津田さんとココ          石垣さんとみみ お使いに 

■再会 石巻市 橋のたもとでばったり出会ったのは!

 石巻市内旧北上川河口から2番目の橋「内海橋」のたもとで愛犬ムサシ君を連れた菅原夫妻に出会った。
  震災直後の3月ご夫妻とムサシ君に同じ場所で出会ってから4ヶ月余りが経っていた。
  7月の早朝。ほんとうに偶然の再会だった。
             
  震災直後の2011年3月菅原夫妻と愛犬ムサシ君(内海橋たもとにて津波が引かずに地面をぬらしている)写真下3枚
 菅原さんご夫妻 菅原さん橋のたもと 菅原さんほcおうきょ

 2011年7月 菅原夫妻と愛犬ムサシ君に再会した (内海橋たもとにて) 写真下4枚

   むさし1  むさし2
       3月2人と一匹が座り込んでいた橋のたもとにて            片付けは進んでいるが

   むさし  むさし3 
       お二人とムサシ君との早朝の散歩は欠かせない日課だ    避難所へと戻っていく菅原夫妻とムサシ君

 3月からの石巻取材では、当時途方に暮れた様子で橋のたもとに座っていたご夫妻とその周りで元気にはしゃいでいたムサシ君が特に印象的で忘れることがなかった。再会してすぐにそのことをお二人に話すと、驚きの様子は隠せないがややあって、”その節はお世話になりました”と思い出されたのか少し顔が曇った。が、すぐに気を取り戻したように”仮設住宅に当選し8月には、現在の避難先小学校からムサシ君を連れて移設できるんです”と嬉しそうに語ってくれた。
ムサシ君は震災後避難所に移ってからずっと避難先の学校校庭の隅につないでいるという。しかし、避難所で一緒にムサシ君と暮らせているのでありがたいという。仮設に移れたら玄関の中に入れてあげるのだそうだ。
再会と無事を喜び3月お会いしたときに撮影させていただいた橋のたもとで再撮影をお願いすると快く応じていただいた。言葉少ないつかの間の再会であったが、それで充分だった。
後日予防薬と写真をお送りすることを約束し、ご夫妻とムサシ君を橋のたもとで見送った。
2人と一匹は力強く自信を取り戻したように片付けが進行中の街を避難所へと戻っていった。

■ボランティアを続けて

kanban  volan
    2011年7月 宮城県石巻市日和山公園             ボランティアに出発する外国人グループ 

宮城県石巻市周辺へ定期的に支援を始めて4ヶ月余り。今回7回目の支援活動として石巻へやって来た。
自衛隊は規模を大幅に縮小、ボランティアの数も減った。マイナスからスタートした東北被災地。その復興の
スピードを計ることは出来ない。この震災は私達に降りかかった未曾有の出来事なのだ。
人も動物も少しずつ前へと進み始めている。今必要なこと。世界の人々がこの復興を自身のことと受け止め
共有してもらうこと、それにはここ東北の復興支援に”つながっていこうとする意志(ボランティア精神)”を持ち続けていくことだ。
と、海外からのボランティアグループの定期的活動を見て感じた。

協会では前回に引き続き今回も予防薬を中心に支援を行った。           写真・文 平澤たいら

 
 

石巻支援リポート VoL.8  2011年8月31日

■復興の街、夜空に鎮魂の花火が上がった

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    2011年8月1日 開催を危ぶまれていた石巻川開きが開催され 鎮魂の花火が打ち上げられた

石巻市では毎年8月1.2日盛大に川開き祭りが開催される。祭りには県内外から20万人が訪れ
夏の祭りに酔いしれる。今年は第88回だった。

*治水で石巻の街を救った川村孫兵衛重吉扇に対する報恩感謝の祭りとしてはじめられた「川開き祭り」
夏祭りならではのエネルギッシュなイベントを前に、供養祭や川施餓鬼供養祭などの祭典行事が厳粛にとり行われます。
川開き祭りは、川の恵みに感謝するとともに、ご先祖様の供養のために始まったお祭りなのです。石巻市川開き祭りHPより

夏本番の風物詩として市民が楽しみにしている夏祭りだ。
震災後の今年はその開催が早くから危ぶまれていたが街の有志他が一丸となって開催にこぎ着けた。

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    ボランティアのちんどん屋さんも祭りを盛り上げる        震災後始めて市民が集った みんな嬉しそうだ

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      屋台ボランティアも頑張っていた           川岸には打ち上げ花火を待つ人々が集まって来ていた

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屋台ボランティアに平塚さんの姿が     ふるさとの味石巻焼きそばも出店 多くの市民が買い求めていた。

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  3月避難所で過ごすパピオン久太郎の飼い主平塚さん   この日は、お祭りボランティアで大活躍 していました。表情は明るい。


■誰しもが鎮魂の祭りを受け止めていた
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       石巻中心街に集まった人々 祭りの山車が引き出された 

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    川縁に摘まれた土嚢に座って花火を見る         全壊したお菓子屋さん 被害の様子を伝える看板が

花火が打ち上げられる。拍手はない。むしろため息に近いようなざわめきと聞こえる。
人々は花火を見ている。というより何かを考えている。
集まった人々は静かに花火の煌めきが風に吹かれ夜空に消え去るのを見つめていた。
音は無いのか?ドーンという音は?
確かにあったのかもしれない。が、音が脳裏に記憶されないほど人々は何かに集中している
ようである。こんなにも市民が居たのか と思えるほど旧北上川の河口付近は人々で
埋め尽くされているのだが。
この夜の ために集められた投光器がぽつりぽつりと川岸を照らしている。
集まっている群衆が時折上がる花火に照らし出され北上川の川面にその姿を浮かび
上がらせている。
散発的に河口付近の中州から花火が上がる。やはり拍手はない。静かな花火だ。
この夜花火に集まった人々は多くの祈りの中に絆ばれていたように思う。

■被害にあったのは動物達も同じだった
 今回の震災によって多くの動物達の命も失われた。人と同様に生き残った
動物達も懸命にに生きている。 合掌

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      3月 津波で息絶えた犬              3月 生き残ったねこ

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     4月 生き残ったアヒル         5月 震災後生まれた子猫と母親

   
           3月 避難所のねこ            3月 石巻湊地区ネコのお墓

    
         3月 津波で亡くなった 川村さんの猫達       3月 避難所での川村さん

  
                 4月 里親に引き取られた犬達

  
  4月 駐車場で避難生活を続ける人たち    3月 避難生活中 朝の散歩

   
   5月 新しい里親を待つ犬     3月 亡くなった福ちゃん       4月 保護された猫達

■いつまでも悔やんでいられない
 

   
     被災地での散歩風景。 動物のぬくもりは人々に命の尊さを教えている。

 被災地では被災者も動物達も少しずつ元気を取り戻しつつある。
 亡くなった全ての命に合掌、そして生き残った命に幸あらんことを願って今回のリポートを終える。

 協会では今後も継続して被災地のニーズに合わせた支援を続けてまいります。

 

石巻支援リポート VoL.9  2011年10月16日

 2011年10月14日石巻市のシートン動物病院にて動物と人のための
  ミニコンサートが開催された。 当日は午前中の風雨で開催も危ぶまれたが、
  屋外での開催を急遽屋内(病院内)に変更してのコンサートとなった。
  開始直前に雨も上がり結果院内に入りきれないほどに。予定を延長しての
  演奏に参加者の人も動物もゆったりとした一時を楽しみました。
 
  石巻シートン動物病院にて
  動物と人のためのチェロとバイオリンコンサート開催しました!
  *協会では今後新年の再開催にむけ調整中です
 
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  バイオリンの説明をする小川浩史さん          動物も人もゆったり♪〜と楽しんで
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  ワンちゃん達も本当に静かに♪聴いている      津波で病院一階は全壊 やっとOPENに

■津波を乗り越えた動物と人々
 
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  わたしは リボンです                   わたしの お母さん泰子さんです
 
 3月11日従業員35名ほどの会社を経営していたリボン(女の子4歳)のお父さんSさんの工場を津波が襲った。
 その津波で従業員10名と猫7匹が行方不明となってしまった。翌12日懸命の捜索が続けられる中
 洋服ダンスの上の扉にぶら下がったリボンが発見保護された。全てを失ったSさん夫妻。その後市の援助を受け
  民間のアパートに身を寄せることができた。だがその間の様々なストレスが重なりご主人は心臓病で入院。
  泰子さんとリボンはご主人を支えた。
  しかしやっと暮らしに落ち着きを見せ始めた10月、家主よりアパートはペット禁止であることが条件提示された。
  やむなく泰子さんはリボンを里親に出すことを考え人を介して協会に相談。里親を探しが始まった。
  里親はすぐ見つかった。が、入院中のご主人は”これ以上家族を失いたくない!
  どんなことがあってもリボンと暮らせるところを捜す”と強い決意。その意志が私達にも伝わってきた。
  復興が始まり他県の人々の流入により賃貸住宅物件も不足気味となり、震災前にもまして住宅事情は悪化、
  引越は現実的ではなくなって来ている。協会ではまず大家さんに再交渉し現状の地で一緒に暮らせることを薦め、
  どうしてもダメなら里親も視野に入れながら今後は継続的に側面支援することを約束した。
  そんな状況の中15日シートン動物病院コンサート会場に退院したご主人と泰子さんの姿を見ることが出来た。
  震災の苦難は続いているが、孤立することが最も危険なこと。私達はいつでも声を掛け合いながら
  被災地の人たちや動物達と一緒に歩んで行かなければと強く感じた。あきらめないことが大切なこと。

■お散歩はいつも一緒に!

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石巻市内を流れる旧北上川河口付近を毎朝ネコ「ちい(1歳半男の子)」と散歩している尾形さん 
  石巻港を拠点とした遠洋マグロやカツオ船の乗組員として若いときから活躍してきた海の男だ。
  石巻に生まれ海での生業を当たり前の人生として選択。2年前の定年後も石巻漁港から近海の海に出て
  漁をする船会社で働いてきた。のんびりと金華山沖の魚を水揚げしここ石巻で暮らしていく。
  そんな夢を3月11日の津波と地震が打ち砕いた。

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  ”これからはこのネコちいと身体をいたわりながら
 暮らしていくよ”と達観した風。同じような境遇にあるのか人々が散歩の途中で声を掛けていく。
 船会社は復活しないだろうから、あきらめるしかないかなぁ。と。
 そんな心配をよそに、ちいこはひょいひょいと堤防を歩いていく。
 ”ニャーぉん”早く行こうよ〜”と私達のおしゃべりに催促してくる。
 散歩が始まって半年。尾形さんとちいは朝の人気者になりつつある。

*震災から7ヶ月今後も継続し協会では様々な形での被災地支援を続けていく。

                                                   写真・文 平澤たいら

石巻支援リポート VoL.10  2011年11月10日

 ■リボンちゃんは飼い主さんと一緒に暮らせることに!なりました。

   
  リポートVol,9でご紹介した。飼い主S泰子さんとリボンちゃんはその後大家さんとの交渉が成立。
 避難先である石巻市内の民間アパートで一緒に暮らせることになりました。
                  旧北上川沿いの”猫じゃらし”。

■があ子は民間ボランティア”アヒルネットワーク”さんに保護され元気です。
 
  9月足に不具合(腫れ)が生じ普段の行動に支障をきたし始めていた、があ子(Vol,6、6月のリポート
 でご紹介しました、下記)は、10月に保護され治療を受けながら神奈川県下で元気に暮らしています。

★ガア子 人気者に(Vol,6、6月のリポートより抜粋)

  

わたしがガア子です〜〜      津波で生き残ったアヒルは地元の人気者だ

前回紹介した末永さんの船が繋がれている住吉公園の川べりにアヒルの”ガア子”が

お友達のカモさんと暮らしている。石巻では新聞やラジオで紹介され、かなりの人気者になっている

ガア子。

29日は、早朝から餌をあげる人や散歩の途中で見に来る人たちもチラホラと。

津波を生き残った一匹のアヒルを見守る石巻の人々の視線は温かい。

  
      朝日に輝くガア子さん2011年6月

 
■仮堤防が出来て。

 があ子が宿としていた、石巻市旧北上川の河口付近の岸辺には急ごしらえの堤防が完成しつつあります。
  
          2011年6月 撮影 があ子とがあ子が住んでいた旧北上川の岸辺(上2枚)

  
     2011年10月下旬 撮影 旧北上川の岸辺 があ子の宿は右側仮堤防が切れた辺りだった(写真右)
 
■コンサート会場のわんこたち

   前回石巻のコンサートに集まったわんこたちは社会
性が身に付いていて驚きでした。

    
                大勢の飼い主さんとワンこさんに♪来場いただきました。 
   

 大震災から8ヶ月。仮設住宅や新天地へと人々が新たな場所へ落ち着き。これからの人生を
 考える余裕も生まれつつある今。一方では将来への不安が被災者たちに大きくのしかかっている。
 飼い主として一緒にいてあげられないことで悩む人、飼い犬やねこを失った人々。多くの人々が
 今後の生活への不安を抱えながら懸命に生きようとしている。

■ 支援はこれからが本番。12月〜の高速無料化。是非被災地へ足を向けてみては!
 
  今後は人々の心に届くきめ細やかで継続的な活動が求められている。
  そんな中2011年12月〜2012年3月まで
 東北自動道を始めとする東北方面の高速料金が無料となるニュースが流れた。
 
  この機会に是非被災地を訪れ、被災地の人々や動物たちとふれあい、自らの五感での被災地を
 体験してみては如何でしょう。「私達はあなた方を決して忘れていません。いつでも心の支援を送っています。」
 そんなメーッセージになるのではないだろうか。
                                                    写真・文 平澤たいら
石巻支援リポート VoL.11  2011年12月12日

■冬がやってくる 

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2011年6月年寄り長屋の復旧を急ぐ末永さん       2011年11月末 仮復旧した長屋

11月末の石巻市、末永さんの6月からの復旧工事(写真左)でよみがえった、旧北上川沿いに建つお年寄りの
被災者宅の軒先には寒風にさらされ干し柿がつるされていた。

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 石巻発祥の碑がある住吉公園にもお散歩の姿がよみがえった 末永さんちのチャコ ちょっぴり寒そう〜〜

11月末この日、朝の外気温は3℃。後日初雪が舞った。冬将軍がすぐそこまで迫ってきていた。

■暮らしが始まっている
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 3月津波が運んだ泥と砂でぬかるんでいた            11月泥や砂は撤去され家屋の解体が進んでいる
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 3月津波で被災した慈恩院(石巻湊小学校並び)            11月慈恩院前を元気に通学する児童達

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 避難者が「0」になったが湊小学校の校舎は使われていない   学生たちは毎朝他の学校へとバスで授業に出かける

 生き残った猫たちを救え
 
 石巻湊地区から被災者が去り、家屋の撤去が進む中、生き残った猫達が冬の到来を前に懸命に生きようとしている。
 この猫達を助けようと立ち上がったのは、湊地区に住み自らも被災し家を失った満代(バンダイ)さんだ。

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 被災したノラ達 この3匹は兄弟姉妹だそうだ          石巻市湊地区でねこに声をかける満代さん

 満代さんは大震災前この湊地区で子供たちの塾を開催していた。自宅兼教室の私設塾だ。旧北上川から150メートル
 ほど入った商店街の一角に家兼塾はあった。猫を飼っていたが3月の津波が家と動物達を持ち去っていった。
 解体や整理作業に度々倒壊した自宅を訪れた6月のある日、難を逃れた多くの猫が戻ってきていることに気がついた。
 腹をすかせ傷ついたボロボロの猫達ばかりであったという。以後、毎日水と食料を運んだ。
 時がたつにつれ猫達がその数を増しこのままでは猫も自分もつぶれてしまうのでは、と不安に。
 そんな時、湊地区の美容院後に本部を構えるボランティア「チーム神戸」が相談に乗ってくれた。

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 チーム神戸を尋ねる満代さん     2012年3月まで石巻ではチーム神戸の支援が続けられている

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 お食事場所 ここに湊地区のねこたちが集まってくる      老猫シロを見つけた!!
 
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 解体が始まった満代さんのご自宅(石巻市湊地区)屋根裏まで津波が押し寄せた    お食事中のねこたち

 ■湊のねこ基金(仮称)
 満代さんはチーム神戸のアドバイスを受けながら今、さまよう猫達のため、ここ石巻市湊地区に”湊のねこを救う”
 ミニ組織「湊のねこ基金(仮称)」を立ち上げようとしている。
 フェイスブック等で呼びかけるなど不慣れな作業には頭を抱えているが満代さんの意志には固いものがある。
 現在食事を与えている場所も撤去される日が近い。
 冬が迫る中、内心穏やかでない日々が続いている。

 ■嬉しいニュースも
 そんな中、年寄り猫のシロ(写真下)がこの日見つかった。
 最近シロを見かけたという情報が満代さんに寄せられていたが、9か月の間、 生きながらえていたのだ。
 「最近こういうことがよくあるんです。この子は人間が本当に好きなのよ、目はあんまり良くないけど、良く生きていたわね、
 ほんとうにうれしいです」 と目を細めていた。

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  人が大好きなシロ 14歳?位と満代さん   去ろうとするとよちよちと追ってくるシロ
 
 「この地区のねこたちを保護し避妊や去勢を施し里親がいればお見合いをさせたりしながら長期にわたり見守る事が
 私の使命だと考えています」と塾の先生の顔になってしっかりと話す姿が印象的だった。
  車で去ろうとする満代さんを追って、足取りよろよろとシロが後を追っている。
 「この子がいつまで元気かわからないけど、出来るだけのことをしてあげたいんです」と後ろ髪を引かれるようにして
 満代さんは5キロほど離れた内陸の仮設住宅へと引き返して行った。
 
 水鳥たちが羽を休めていた
 旧北上川、住吉公園の川岸では水鳥たちが羽を休めていた。天敵が少なくなったのか、人や他の動物が近づいても
 逃げようともせず羽の毛づくろいをしている姿がほほえましく、市民もわざわざ川岸への散歩コースを選び毎朝その姿を
 楽しんでいるようだ。
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 震災後初めてとなる本格的な冬を迎えた今。被災者と動物達も冬への備えに不安は隠せない様子。
 一方被災地の人々の心の中には、他人を思いあったり動物をはじめ生命あるものへの慈しみの気持ちなどが少しづつ
 人々の心の中に芽生えつつあると感じた。この先の厳しい冬の間ややもすれば閉じこもりがちな
 被災者と動物達に暖かい声を掛けていくことが大切だと感じた。
 *協会では今回も冬季物資(布団、暖房器具)を中心に支援を行った。
                                                               写真・文 平澤たいら
                  

石巻支援リポート VoL.12  2011年1月22日

■2012年新年を迎えた被災地石巻に被災した飼い主と動物達を訪ねた。

   
 
 宮城県石巻市内の日和山公園に冬の陽射しがそそいでいた     がれきで暮らす猫         仮設に移った飼い主
              
 避難者を受け入れた避難所 湊小学校
 
 
多くの避難者が一時避難し生活を共にした避難所の一つ湊小学校は2011年12月最後の避難者が
 退去したのち閉鎖されていた。震災当時小学校と裏山に避難した人たちの多くは無事だった。
 
 
   
 2012年1月白い建物が避難所だった湊小学校とかまぼこ型の体育館   2011年7月(日和山より望む)    2011年4月当時
 
 現在は旧北上川に護岸用として急ごしらえの白い仮堤防が完成していた。さらに5〜10mの堤防を建設する計画があり
 2012年3月行政による住民との話し合いが予定されている。
 
   
   2012年1月 宮城県石巻市湊小学校避難所跡                  2011年4月(上下写真)
   
 避難者が退去した湊小学校。今後の再開は難しいという。    震災直後校内では分担で炊き出しをする姿が

    
 2012年1月湊小学校から見た湊地区、日和山を遠望      2012年1月 校内に残された標語             2011年4月時の標語
 
 多くの被災者を受け入れ災害支援の拠点地となった湊小学校に人の姿は無かった。
 2011年12月最後の避難者が仮設へと二次避難を終え学校はその任を解かれ閉鎖となっていた。
 関係者の話によると今後湊小学校の再開は難しいとの事、長い歴史を誇る小学校が消えていく運命にあった。

仮設への暮らしへ

     
  2012年1月 仮設で愛犬ムサシと写真に収まる菅原さん                        2011年3月時 石巻内海橋でのムサシと菅原さんご夫妻

 菅原さんとムサシには(写真上右)2011年3月に出会った。その後2011年7月に偶然、石巻市内旧北上川にかかる内海橋の
 たもとで散歩中の2人と一匹にお会いしてからも今回の出会いまでには半年余りが過ぎていた。7月に再開した折、避難していた湊小学校から
 仮設住宅に間もなく移ると聞かされていた。その後写真をお送りした際、無事仮設入居した旨、お手紙をいただいていたのだ。
 訪問したこの朝の気温は1℃。早朝にもかかわらず暖かくい受け入れてくださった。既にムサシ君朝のお散歩は終わった後。
 リラックスしたムサシ君が家の中にいた。造船関連の仕事を30年間継続している菅原さんだが震災で職を失った。
 「おかげで一日朝昼晩3回ムサシを連れて1万6千歩は歩きます。のんびり生きますよ」とムサシには最高の飼い主だ。
 休みの日は奥さんも一緒に北上川を散歩する。寒い北風が吹く中、仮設での菅原さんとムサシの元気な姿が印象的だった。
 
 ■立ち上がる被災飼い主たち
 昨年12月までに石巻市の被災者と動物達の多くが仮設へと移設。新しい暮らしが始まっていた。
 犬たちの多くは飼い主とのつかの間の平和な暮らしが戻ってきているように感ぜられた。
 一方被災当時逃げて助かった猫たちの多くは被災地区に残り、撤去を免れたがれきの中で厳寒の中必死に生きていた。
 現地では今、生き延びた猫達の命を救おうと頑張る被災した飼い主たちの姿があった。
 
 ー石巻市湊地区の猫を救うー
 
   
            解体整備が進む石巻市湊地区                   湊地区で食べものを運ぶ萬代さん
    
 車と徒歩で食糧を補充する                           外国のボランティアも猫達にメッセージを残した
  
 s2  s VOL,11で紹介した老猫シロ
 今回ついにその姿を見かけることは無かった・・・。頑張れシロ!

 VoL,11で紹介した満代(ばんだい)さんもその一人。1日一回被災し撤去が終わった自宅跡のある石巻市湊地区へと仮設住宅から
 車で訪れる。そして数か所に水と食料を補充していく。物資の一部は前回紹介したボランティアグループ”チーム神戸”が保管。
 我々からの支援物資はそこから車や徒歩で仮の給餌場へと萬代さんによって運ばれている。2012年3月チーム神戸の撤退
 が決まっているため、その後は萬代さんの仮設住宅が一時的な保管先ということだがスペースは無く頭の痛い問題だ。
 捕獲し避妊去勢を進める計画もあるが、術後のケア施設も無く今後この問題が大きな悩みだ。
 現在猫達のねぐらとなっている廃屋も撤去の日が近づいている。現地での人手とスペース不足。
 自らの生活基盤への不安と、悩みは尽きない。

 ー東松島市大曲地区で猫を救うー

    ie kawamurasan 
  2012年1月 仮設住宅で元気な川村さんとそら君           2011年3月当時の東松島市大曲地区          2011年3月 避難先の川村君とソラ

       
 仮設では多くの犬が吠えるなどの理由で外飼を余儀なくされている  ノラ猫が仮設に住みついた 川村さんが寝床を作成 

 川村さんの住居があった東松島市大曲地区では、被災した猫達が港湾地区を中心に生きながらえている、それを見かねた
 川村さんや付近の犬の飼い主たちが中心となって現地に仮の給餌場を設けて1日一回食糧と水を届けている。
 ここも行政の支援は無く当協会やボランティアによって食糧が届けられてはいるが、それを給餌するボランティアがいない。
 若者を始め多くの高校生たちも仕事が無くアルバイトにも就けない状況がある中で、給餌ボランティアに多少の料金が支払える
 ような仕組みが出来ないものかと、現在NPOも視野に入れ行政との交渉を検討中との事だった。
 協会では組織作りのためのサポートとして食糧支援の他アドバイスやコーディネイトを通して継続的支援を検討している。

旧北上川沿い〜暮らしが戻りつつある

   
  菅原さんは末永さんが再建した長屋に暮らしている     料理が得意な菅原さん 猫”白”も思いのほか元気だ
     末永さん
 末永さんは仮設に移り住んだが自宅は被災時のまま           2011年5月の末永さんとチャコ

    
 末永さん自宅前に仮堤防が作られた           2012年1月 チャコは菅原さんが預かっていた         2011年6月のチャコ

 2011年3月〜10月被災した老人たちの長屋の修理に精を出していた末永さんは仮設住宅に移っていた。
 愛猫チャコと白は住人の菅原さんが預かり面倒をみているとの事。料理が得意な菅原さんは被災した2011年
 3月11日、末永さんの誘導で日和山へ避難して無事だった。2日後の3月13日長屋へと戻り末永さんと一緒に
 近隣地区への炊き出しを開始。15日間にわたり炊飯ボランティアを続け近隣の被災した住人たちからは称賛の
 声が多く挙がった人だ。現在は修復を終えた旧北上川沿いの住居に住みながら猫の面倒をみている。
 チャコは2011年11月に会った時より痩せてしまっていた。
 この先の寒波を菅原さんの愛情に包まれながら乗り越えて行ってほしいものだ。

   
  2012年1月旧北上川中州に津波で左足を失って建つ自由の女神像(石巻市日和山より)      2011年3月当時 震災直後の中州とその周辺

 宮城県石巻市周辺の被災地に1月厳しい冬が訪れていた。多くの飼い主や被災動物達が仮設住宅へと二次避難している。
 しかし数年のうち(最大4年か5年後)に次の移転を迫られる状況だ。飼い主と他の住人とのトラブル(無駄吠えや排せつ処理苦情)
 等様々な暮らしの問題は私達遠く離れた住民と何ら変わりがないどころか、薄い壁に囲まれプライベートが無い仮設住宅事情下で
 問題は増幅し、様々なストレスとなって人や動物達の上を覆っている。その一方現在与えられた暮らしに慣れ今までの暮らしを
 取り戻そうと懸命に頑張る姿がある。路頭に迷う猫達を救おうと自らの境遇を顧みずに活動する今回紹介した人たちには、
 これからの被災地にしっかり根ざしていこうという気概を感じる。石巻市旧北上川の中州には津波に流されずに残った自由の女神像
 が何事もなかったように建っている。
 その姿は被災地の多くの飼い主や動物達の将来を勇気づけていると見るのは私だけではないと感じた。
 *協会では今後も引き続き様々なニーズに合わせた支援を継続していく。                   写真・文 平澤たいら

 

★支援金を募集しています

 集まった支援金は、被災地へ今後長期に渡り、獣医師の無料診療派遣や動物ボランティアグループへの支援等
として使わせていただきます。


支援金
振込先  
三菱東京UFJ銀行 中野駅南口支店 普通口座4504045
〔名義〕PPR事務局(ピーピーアールジムキョク)


救命士・搬送士資格取得者、受講生の皆様はお名前の前に番号を入力していただけますと幸いです。
個別に領収証等は発行しておりませんのでご了承ください。この口座への募金は税務上の寄付金控除対象とは
なりません。支援活動の詳細は随時ホームページに掲載させていただく予定です

★当協会ではこの度の東日本大地震の被災者と動物に対する支援活動の一環として、
   愛玩動物救命士、搬送士のライセンス取得者に対し、必要な情報を当ホームページ上や
   メールで連絡することを検討しております。
  他の支援団体等への救命士、搬送士のボランティア活動などの具体的な窓口がございましたら
  事務局メール宛にお寄せください。
  検討の上、呼びかけ等を行うことが可能かと考えております。
  但し、全ての情報の出所確認や使途につき、当協会として適切であるかの判断に時間を要することも
  ございます。また掲載できないこともあることを予めご理解ご了承いただけましら幸いです。
  どうぞ宜しくお願い致します。

 
 ★被災した動物たちの心と体のケア



 
  救命士認定証 取得者への情報ページ
         ご注意:搬送士(ペトラー)資格ではご利用になれません
          救命士認定証の提示で特典が!   →
 このページで、ご紹介する、推薦動物病院やショップ他では、
 救命士ライセンスを提示するだけで様々な特典サービスを受けられます。
*詳細は各動物病院又はショップに直接おたずね下さい
 尚、特典についてのお問い合わせやトラブルに関し、愛玩動物福祉協会及びPPR事務局は一切の責任は負いません。
     <推薦病院> お電話は番号のお間違えの無いようにお掛け下さい

       坪井どうぶつ病院(千葉県 船橋市)

   http://www.tsuboi-pc.com/
    
       千葉県船橋市坪井東1−2−20


初診料 無料  診療費10%OFF
その他 詳細は直接病院までお問い
  合わせ下さい
 
  TEL 
 047−406−5481 
 
   


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